さよなら、ヤッシー、へんな人


長野県知事選で、田中康夫さんが負けました。
「田中康夫氏負けた!長野県知事に村井仁氏」


いやはや、これで長野県は、五輪後の混乱の県政にいちおうの終止符を打つことができたわけですね。田中さんが最初の選挙で勝って知事になれたのは、知事公舎で、クジャク飼っていた吉村午良さんという前の知事のまずい対応のおかげでした。


吉村さんは、池田典隆さんという吉村さん当時の副知事を知事選に送り出して、引退しましたが、ほとんど、応援もせず、ほおっておいた感じ。もっとも、吉村さんは、選挙でなにも出来なかったけどね、たぶん。この池田さんがまた、吉村側近の仕事しかしてないから、選挙で直接対決した田中さんも、たんなる長野県役人のたたきあげの池田さんを思いっきり、攻撃しやすかったんですね。悪口とくいだし、ヤッシー。県庁内も池田さんを必ずしもよく思っているひとばかりじゃなかったし。単なる吉村側近だった池田さんが、いろいろ吉村さんの奥さんの機嫌をとって、副知事にのぼりつめて、知事までねらおうっていうんだから、面白くないでしょう。そしてそういう不満の受け皿になったのが、トリックスター田中康夫さんでした。


しかし、長野県民の期待は、見事にうらぎられ、ここにいたったわけです。


田中康夫さんは、人物の好き嫌いがそのまま政治行動になっていた知事でありました。「この人嫌い」といっては地方に飛ばし、「うーんいいかもね」と思うと、びょんと引き上げたりする。ようするに、人が使えない。自分以外は、ほとんどバカだと思っているふしがあります。まあ上司にしたくない人という意味では、ナンバーワンでしょうね。


テレビや新聞の記者のなかにもけっこう田中にすり寄る輩がいて、その都度、「あいつが、ああいってた」とかいうちくりをやっていたから、周囲は油断がならないものでした。


ほんとうに、幼児性が強く残る人が責任ある地位に就くと、大変という見本でした。あの胸につけているマスコットのかもしかの「ヤッシー」にも周りのひとたちは、ひいてましたけどね。


新しく知事になった村井仁さんは、まあ、普通の行政をすることでしょう。そしてまた、何年後かに不満のマグマがたまり、選挙戦に。まあもう田中さんが出ることはないでしょうが。


さよなら、ヤッシー。もう長野にはかかわらんでくれ。本来は、平和な貧乏県なんだから。最後に、どんな嫌みを放って長野県にさようならするかだけは、注目しているぞ。