悪人


吉田修一さんの「悪人」を読みました。


タイトル名の「悪人」というのは、かなり強い印象を与えています。本も手にとってもらってなんぼ、ですから、その意味では成功。そして最後まで、読み手は「悪人」ってどの登場人物かということに引っ張られて読み終わることになります。というか私がそうでした。


最後のページだけですね、「悪人」が語られるのは。なるほどなあ、という構成。最後まで読んで、作者の意図が分かるという作りになっています。


この小説に「悪人」らしい「悪人」は、出てきません。どこにでもいそうな平凡な人々。平凡な生活に息苦しさを感じて、ちょっとした逸脱と激情が、「悪人」と呼ばれてしまう人物を作り上げるという。こういってしまうとそれこそ平凡な小説のように思えます。実際読んでいる時は、案外、ありきたりのことをいいたいのかしらん、と思いながら読み進めていました。


しかし、物語の主な流れの脇を固める人々の目線がなんともいいんですね。悪人、ってなんだろうと考えた場合、殺された女性の父親がいっているセリフに、この小説のメインテーマが凝縮されているような気がします。


「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思いこむ。(中略)だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる(以下略)」


朝日新聞に連載されていた小説。なるほど、ジャーナリスティックな視点も備えたいい小説でした。

悪人

悪人