ヤクザ


「ヤクザ ニッポン的犯罪地下帝国と右翼」を読んでいます。
ヤクザ


1991年発行の比較的古い本です。
なんで、こんな本を、と思われる方もいらっしゃると思いますが、
小泉純一郎総理、安倍晋三官房長官のことなどを考える材料に
したかったからであります。


まだ、初めのほうしか読んでいないので、なんともかんともですが、
戦後まもないの右翼とヤクザと政治家の関係を知るうえで、
面白いエピソードを本から紹介してみましょう。


吉田茂内閣の法務総裁(後の法務大臣)に木村篤太郎さんという人がいました。
木村篤太郎さんは、弁護士ですが、戦前、右翼団体の管理者もしていました。
ようするに、憂国の人だったわけですね。


で、木村篤太郎さんは、現職の法務総裁でありながら、
当時盛り上がってきた共産主義運動を憂慮し、
博徒テキ屋、愚連隊からなる20万人規模の「愛国反共抜刀隊」の創設を
計画したというのです。民間軍として。
当時、自衛隊はないし、警察もぱっとしなかったんでしょう。
力には、力を。革命には、反革命を、という感じですね。


で、ある程度、木村篤太郎さんがヤクザとか、右翼の大親分たちの支持をえて、
全国横断的なヤクザ・右翼連合組織をつくりかけたところで、
吉田茂にストップをかけられたんだとか。


しかし、司法のトップが、ヤクザ・右翼の全国組織結成を
よびかけたんですから、マンガみたいな話です。
しかし、戦後は、それが、アリだったんでしょうね。


木村篤太郎さんは、その後、初代の保安庁(のちの防衛庁)長官に就任。
参議院議員にもなって、
90歳過ぎまで、右翼的な主張を繰り返していたといいます。


で、なにがいいたいかっていうと、
よく小泉さんのおじいさんは、入れ墨をしょってたとか、
安倍晋三のおじいさんの岸信介は、児玉誉士夫とポン友とかいいますけど、
昔といまはどう違うのか、ということです。


まず昔は、どうだったのかというリサーチですね、この読書は。


戦前と戦後は、もう本当に、右翼と支配層は、一体ですね。
頭山満という右翼の祖先は、戦前、皇居から晩餐会に呼ばれて、
いつも万歳三唱の音頭を取る役目だったとか。


戦前の政党の政友会も民政党も、右翼団体を実質的な準軍事組織として
活用していて、ヤクザの親分を政党が取り込んでしまったため、
すくなからぬ親分が国会に送り込まれたとか。
推察するに、小泉さんのおじいさんも
そんな感じで、選挙に通ちゃったんでしょう。


そんな情報が満載です。


小泉さんの選対事務局長は、その筋の人だとか、
安倍晋三の周りは、やばい人がうろうろ、とか、
いろいろマスコミは書いてますけど、
おじいちゃん時からのつきあいじゃあーね、
断れないよね。