約束の冬 下巻


宮本輝先生の約束の冬の下巻を読みました。約束の冬 下 (文春文庫)


上巻の時に、善人にしか出ないと書きましたが、宮本輝先生がお書きになっている後書きでその理由が判明しました。文庫本の「あとがき」から引用します。

「約束の冬」を書き始める少し前くらいから、和紙は日本という国の民度がひどく低下していると感じる幾つかの具体的な事例に遭遇することがあった。民度の低下とは、言い換えれば「おとなの幼稚化」ということになるかもしれない。(中略)現代の若者たちはいかなる人間を規範として成長していけばいいのか……。私は小説家なので、小説のなかでそれを考えて、小説として具現化していかなければならない……。


なるほど、だから、現実にはもう絶滅しているような人物像がバンバン登場してきたわけですね。女性の登場人物が「はしたない」なんていうセリフをいっているのを、ほとんど初めて見ました。男性の主人公は葉巻すってるし。


おとなが幼稚化している、というのは、まあ、そうだろうな、とは思いますね。現役の外務大臣麻生太郎さんね)が、愛読書にビックコミックスピリッツを何はばかることなく、あげるような国だもん。


昔からすべての大人が大人らしくしていたわけじゃないというような気もしますが、どうでしょうか。伝統の文化の守護者であるエリートがいなくなったんじゃないかなあ。何度もいうようですが、現役の外務大臣がマンガだよ。マンガはいいもんだけど、外務大臣は隠れて読んでくれよ。ニッポンの国益のためにも。


がんばれ、エリート。あとは、別に幼稚化しようが、なんでもいいんじゃない。ということで、宮本輝先生の小説はとても美しいのですが、おとならしいおとなの議論では、なんかとても釈然としたいところがあり、パスです。だって、男の主人公の社長は、葉巻にゴルフして、パソコンは使えないんだよ。まあそれは些末なディテールかもしれませんが。確かに、男性の主人公は「誠実」で、仕事熱心な人格者として描かれています。確かにそれが、「おとならしい」のかもしれないけど、当たり前すぎる。


まあ、この小説ではその当たり前のことを愚直にやってみたということなんでしょう。桶谷秀昭先生が、「反時代的な、美しい小説」と解説の冒頭でいってますけど、まさにその通り。それだけに貴重なのかもしれない。ほかの小説家は、こんな小説を書かないなあ。