エウレカセブン49、50話

やはり、終わるのは、寂しいですね、エウレカセブン

最後のレントンエウレカの声で、「オシマイ」かあ、と思いました。
宮崎駿のマンガ映画の最後には、
おきまりのように、
「おわり」の三文字がでます。
もしかしたら、と思っていたら、
やっぱりでした。
エウレカセブンは、制作者が日本のすべてのアニメに対して、
なんか「ありがとう」をいいたい作品なんだなあ、と思いました。
勝手な思いこみかもしれませんが。

なんで、ゴンじいがコーラリアンなの、とか
デューイは、いい人だったの、それとも狂人だったのとか、
結局、エウレカセブンはなんで「セブン」だったの、とか
もういろんな?が頭をかけめぐる最終回でしたが、
まあ、終わりよければ、「すべてよしっ」と思いました。
「星にねがいを」かあ、とも思いましたから。

最後の最後まで、
結局、レントンエウレカの「Boy meets girl」の話に収れんさせたかったのね。
京田知己監督は。
いろんな枝葉末節はあっても、
この幹が守られていれば、物語としては、完結するよね。
いい話でした。
最後にレントンエウレカ
アクセル・サーストンのところにもどるという構造も含めて。
レントンにとっては、月光号は修行の場だからねえ。

おもしろかったです、エウレカセブン
たぶんこれからも、エウレカのことを書き続けると思います。
再放送も始まるし。
なんだかんだいっても、日本のアニメの伝統・蓄積に根っこをおろした
10年に一度クラスの名作だったと思います。